筆者の紹介

「普通」になれなかったけど、今ではそんな自分が好き

友達とグループで面白い会話して笑って、廊下ですれ違ったら手を振れるような友達をたくさん作って、みんなと同じ時期に就職して、愚痴を言いながら我慢して働いて、「それが人生だ」と分かったような顔をしながら友達とお酒を飲んで、それなりにすごいと思われるような社会的ポジションについて、みんなに好かれて、誰とでも仲良くなれて・・・

私が描いていた「普通」は、私には向いていませんでした。


なぜかそんな理想を描いて、若さの情熱で努力して、違う自分になろうとしていました。

私が本当に望む友達関係や働き方は私の中に眠っていたのに、それに気づかないようにして否定して生きてきました。

そうしていつしか私は抑うつ状態になってしまい、長く暗い時間にいましたが、そこで自分と向き合うことになったおかげで「本当の幸せ」に気づくことができました。


みんなが「普通だ」と言っていることは、誰かの「普通」です。
それを自分の「普通」にする必要は全くないし、「普通」な人が多いからといって気にすることはないのです。


むしろ、人はそれぞれ違うものを神様から与えられて生まれてきているのに、同じように生きるなんて気持ち悪いことですよね。


私は協調性もあまりなく、我慢しながら働き続けることもできないと気づいてしまったので、そんな自分を受け入れて自分にオーダーメイドした人生を選んであげようと思っています。

誰かに変だと言われても、それは私の誇りです。

あなたを励ますことで、自分を励ましたい!

仕事に追われ、学校や社内の人間関係に疲れ、仲の良かった友人とはいつの間にか疎遠になり、上辺だけの付き合いに翻弄され・・・もしかしたら、いじめやパワハラを受けている人や、誰にも言えないことで悩んでいたり怯えていたり、罪の意識に苦しんでいる人、周囲の目や世間体に押しつぶされそうになっている人もいるかもしれません。

私も、社会の流れや理想に自分を置くために本当の自分を見失っていたり、人に嫌われないように自分を犠牲にして生きて苦しんだことがある一人です。


命に優劣なんてないのだから、本当は上司、友達、クラスメート、同僚、道行く人、大勢の人数でさえも、「一人の私自身」より勝ることも劣ることもないのです。完全に同等です。

みんな違う存在でいいのです。

しかし、息苦しい社会ではそのことに気づきにくいですよね。

だからこそ、あなたを癒す存在になって、力強く励ましたいと思っています。

私が神様にそれを気づかせてもらって、今までの景色ががらりと変わって見えたように。

時には悲しくなったり、イライラしたり、憂鬱だったりと、感情を乱して周囲の人に迷惑をかけてしまって落ち込んでしまうこともありますが

そんな時でもうちの猫は私を気にせず、寝ていてくれます。