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顔を合わせての挨拶なしで仕事を辞めた私
私は抑うつ状態と診断されて、電話で上司に報告してから出勤せずにそのまま退職したことがあります。
村のような職場だったので、私が抑うつ状態だと電話をしてからは、もう職場中に知れ渡っている気がして行きたい気持ちにならなかったからです。
私が抑うつから復活してバイトをしているとき、同じ職場の社員の子(おそらく私より年下)が体調不良で休んでから数日後に会社を辞めてしまいました。
その子はすごくいい子で頑張り屋で優しくて、いつもほかのメンバーの役に立とうと頑張っていました。
急に仕事を辞めた人に、同じ職場の私(元抑うつ)が思うこと
もっと私にできることはなかったんだろうか・・・。
私は特に抑うつ状態になったことがあるので、つらい思いをしている人のことは励ましたいと思うし、なるべくなら心と体を大事にして抑うつ状態になる前にブレーキをかけてほしいという思いがあります。
私はその社員の子に対しては、年が近く優しい子で親近感と好感をもって働いていたので、何か声をかけてあげたり、精神的な部分で楽になれるようにしてあげればよかったという気持ちを感じています。
その子だったからというのもそうだし、私が抑うつになったからというのもそうだし、なぜ止められなかったのかと悲しい気持ちで、ずっとその子のことを考えてしまいました。
今、何かを伝えたい・・・けど連絡手段がない
もしできるなら、今からでもメッセージを送りたい。
しかし連絡手段がない。
今の現状を聞いて、「大丈夫だよ」と声をかけてあげたい。
誰も怒っていないし、私はあなたを心配しているから、自分に自信をもってゆっくり休んでほしい。
そう伝えたいです。
私に限らず、辞める時に何かを伝えようとしてくる人は意外と多いです。
日本語学校で日本語教師をしていたときは、辞めるときに先輩のおじいさん先生から「いろいろ挑戦してたくさん失敗したらいい」とエールをもらったし、抑うつで辞めた職場の上司からはSMSがきて、旦那さんの働いている会社を紹介してくれたりしました。
好意的に思ってくれたり、応援してくれたり、心配してくれている人は意外と多いということです。
私も抑うつで辞めた時は、「今頃私のことをおしゃべりのネタにして、あーだこーだ言いながらお昼を食べてるんだろうな・・・」と憂鬱な気持ちになりましたが、もしかしたら心配してくれている人もいるのかもしれませんね・・・。
私が負担をかけてしまった・・・
辞めた理由はわかりませんが、もしかしたら私の業務が終わらないときにその子に対応してもらったことや、私からの質問対応ができるように早めに休憩から戻ってきてくれたりしたことが、その子に負担をかけてしまったのではないかという気持ちもあります。
私がもっと質問少なく仕事をしていれば、上司もその子に対して気にする時間ができたかもしれません。
どうしても「自分のせいではないか」という自分を責める気持ちが出てきてしまいます。
私が抑うつになった職場でも、そのように自分を責めてしまう職員はいたのでしょうか・・・。
あまり想像ができませんが、いきなり辞めた立場からすると、職場全体に士気が下がるような影響を与えたような気はしていました。
でもその子に対して思うのは「職場のことなど気にしないでほしい」ということです。
迷惑とか、がっかりさせたとか、そんなことはないからね!と伝えたい。
思い返せば前兆があったのに、スルーしていたな・・・
その子は頑張り屋な反面、休憩から少し遅めに帰ってきたり、休憩に入る報告を忘れたり、ビデオ会議に出席してこなかったりと、不自然なところがありました。
「あれ?」と思いつつも、今こうしてその子が辞めたことによって、「ああ、もしかして初期症状だったのかもしれない・・・」と答えがわかったような気持ちです。
ただでさえ激務の会社で、社員は残業ばかりしていそうです。
そんな環境でこういった症状があれば、もしかして抑うつに近い状態になっているかもしれません。
私は抑うつになったから分かっても良さそうなのに、ちょっと不真面目なところもある人なのかと思ってしまった。
その子を信じて、気遣った目で見てあげられたらよかった・・・。
自分の心身を気遣えるようになったのに、まだ他の人のことは気遣えていなかった
私は抑うつになってから「自分を大事にしよう」「体調が悪ければ休む」「精神的に不安定になってきたらリフレッシュする」と心がけてきました。
油断すると自分のことを後回しにしてしまうときがあるので、かたくなにそれを守ろうとしてきました。
それなのに、ほかの人のことは理解しようとしたり、心から気遣えたりしていなかったのでしょう・・・。
「自分が一番大事」そんな生き方になっていたのかもしれません。
自分が善いとおもえる生き方をするのは難しいですね。(泣)
ボランティアだって、したいと思っているのにまだできていない。
自分がせっかく経験したことがあるのに、私が誰かを救える日はいつ来るのでしょうか。