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自宅療養は暇すぎてつらい
私は抑うつと診断されてから、約9か月ほど自宅療養をしていました。
自宅療養といっても医師からは「とにかく休むように」と言われ、回復し始めてからは朝散歩のミッションが加わりましたが、それ以外はただただ時間が過ぎるのを待つばかり・・・。
正直暇でどんよりしていました。
2週間に1度カウンセリングと診察を受けていたものの、自費になるので値段がとても高く、5回くらいしか通いませんでした。
薬も最初の1、2週間しか処方されていなかったので、療養らしい療養はあまりなく、ただただ休むのみ・・・。
「自宅療養とか言って、ちゃんと療養しているわけでもないのに、自分は今何をしているんだろう・・・」
結論からいうと、しっかり休んで正解だったと思えるのですが、どうしても罪悪感を感じてしまいがちでした。
私が苦しんでいたのと同じようにつらい思いをしている方は、ぜひこちらの記事もご覧ください。
https://nekokini.com/yokuutu-zaiakukan/
一人で苦しんで不安になってしまうときもあると思います。
心細くて「他の自宅療養者もつらい思いをしているのかな」と知りたい方もいると思うので、当時のことを振り返って、私の実際の症状や気分の移り変わり、最終的に私が救われた言葉について書きたいと思います。
今つらい方も、焦らず自分を責めず、お医者さんの言うことを聞いてしっかりと休めば、きっと症状も改善していくと思います。
悩みすぎないで、自分をたくさん甘やかすつもりで休んでくださいね。
※私は軽度の抑うつ状態だったので、症状が軽かった可能性があります。症状の重さは人それぞれ違いますし、時期によっては、動けない症状の方もいると思います。この記事を当てはめすぎず、私の経験についてはあくまで参考程度に見て、お医者さんの言うことをしっかり聞いて休むようにしてくださいね。
簡単まとめ
- 体からの「休んでいたい」というメッセージを受け取ってあげて。
- 趣味は楽しくても不安定な時期がある。そんなときも自分を責めずに、たくさん休んでいい。
- 社会と関わるのはこわいかもしれないけど、回復してから少しずつ慣らしていけばいい。
- あなたの経験は他の人にはない大切なもの。
- たった一人のあなたは、どんな人とも大勢の人とも同じ価値を持つ命。周りの考えなんて気にせず、自分を大事にするために過ごしていい!
自宅療養中の症状
私は12月の頭に抑うつ状態と診断され、8月末からパートを始めることができました。
診断された直後は、内心ショックではありましたが、世間の鬱に対する暗いイメージをまとわないように、家族の前で気丈に振る舞おうとしていました。
しかし、何でもないように振る舞ってはいても、家族にどう思われているのかとても心配していました。
「鬱じゃないと思う」と励ましの意味で言われた時にも「私が鬱と診断されたくらい、つらい思いをしたのを分かってくれていないのかな」と感情的になってしまいました。
初めは休んでいたほうがいいにも関わらず、早く仕事を見つけたいと焦っていましたが、自宅療養で休んでいるうちに、働くことに気持ちも体も向いていないことに気づき「私は働きたいわけではなかったんだな・・・」と思う時がありました。
それをカウンセラーの方に話すと、「焦らなくても働きたいと思う時が来るから、その時が働くべきときだと思う。」「働きたいわけではないということは、『まだ休んでいたい』っていう体からのメッセージだよ。」と教えてくれました。
当時の私は「働きたくない」という気持ちは怠け心から来ているのではないか、本当は診断は誤診なのではないか、私が診察の時に大げさに説明してしまったのではないかと悩んでいましたが、今考えるとかなり心が不安定になっていたので、やはり休んでいて良かったと思います。
自宅療養中は、早く治って元通りになりたいと考えている時期や、働かない生活の居心地の良さを感じている時期を繰り返していました。
このままずっと治らず、このままなんじゃないかと暗い気持ちになっているときもありました。
また、一年前くらいから夜に何度も目が覚めてしまう中途覚醒が起きていたのですが、それを頻繁に感じるようになり、眠りが浅いため午前中はずっと寝ている日が多かったです。
理解力もいつもより浅くなっていたのか、文字を読んだり話を聞いていても、頭にすんなり入ってこない感覚がありました。
人の言葉や態度に敏感になり、私に向けられる言動の中に「私へのマイナスな評価がないか」「私を攻撃していないか」過剰に注目していたかもしれません。
「それってどういう意味?」と感情的になって、突っかかってしまうときも、きっとあったと思います。
定期的に診察やカウンセリングに行くと調子はどうだったか聞かれるのですが、回復したと感じる時期に「もう治ったかもしれない」と明るく報告しても、また些細なことで不安定になって泣いてしまう時期があり、暗い気持ちで症状を報告しているときもありました。症状の変化に一喜一憂することもあったし、不安定な症状になるのを繰り返すのは悪化しているからなんじゃないかと思う時もありました。
そんなときカウンセラーに、うつが回復していく過程を曲線に表したものを見せてもらいました。そこで、症状は上がったり下がったりを繰り返しながら改善していくということを知りました。最初は山と谷の起伏が大きいのですが、それを繰り返していくうちに徐々に小さい起伏になり、次第にまっすぐの線に近づいていって、気持ちが安定してくるのです。
「今深い谷のところにいて全く治っていないと感じているかもしれないけど、それは回復経過の途中の2番目の起伏かもしれない。それとも、もっと回復している段階のこの起伏かもしれない」と励まされ、「私は症状を繰り返しているけど、全く治っていないとか悪化しているわけではなく、回復経過を辿っているんだ」と安心したのを覚えています。
感情的になるときもある一方で、何か月か経つと、趣味や、好きな勉強に熱中することができるようになりました。
暇な時間が多いからか、子供のころからのつらいことが次々と思い出されていてつらかったので、何かに集中している時間は私を支えてくれました。
あまり積極的に動かないことで腸の流れが良くなかったからか、腹痛と下血があり、虚血性腸炎?(最後まで医者もはっきり診断できていなかった)で入院しました。
その後も免疫力が落ちているのか再発してしまい、これも抑うつの影響なのかな、と勝手に考えていました。
午前中に毎日散歩に行くようになり、気分が安定し始めたのですが、入院を機にカウンセリングの予約をキャンセルしてから病院に行かなくなってしまいました。
カウンセリングはとても良かったのですが値段が高く、診療では調子がどうだったか報告して「そうですか」と軽いアドバイスを言われるのみで、あまり行く意味を感じなくなってしまったからです。
もうかなり改善してきたと思い働こうとしましたが、もし面接で療養をしていたとばれてしまったら、医者から働く許可を得ているのか問い詰められてしまうのではないかという心配から、約2か月後に勇気を出して予約を取り直しました。
「途中で行かなくなってしまい、すみません」と誤ったのですが、思いのほか優しく受け入れてくれました。
そこで正式に、短時間勤務で無理をしないようにすれば働いてもいいと許可を受け、仕事を探すことになりました。
回復した今でも若干ありますが、街を歩いているだけで他の人から見られているんじゃないかという恐怖があり、視線恐怖症気味になっていたと思います。
コンビニやスーパーで買い物をするのも苦手で、急いでいる人から邪魔そうにされたり、店員さんの冷たい態度にもいちいち注目してしまって自信をなくしていました。
つい最近までそうだったのですが、冷たくされて傷つく恐怖から、店員さんに対して「こっちは客なのに (私はアルバイトでもっと丁寧に接客していたことがあるのに) 」という思いが強くなり、冷たい態度に対して毎回イライラして心の中が攻撃的な気持ちになり荒れていました。
自分に対して、犯罪者のように目をギラギラさせながら、自意識過剰に相手の行動をチェックしているイメージがあり、こんな状態になっている自分は精神的にまた違う病気になってしまったのかもしれないと感じて、おそろしくなっていました。
仕事に関しては、いきなり対面で人と関わるのがこわかったこともあり、最初はオンラインの仕事を選びました。
仕事といってもオンラインの登録講師で、生徒からの予約があれば言語を教えてあげるというような出来高制のものでした。
結局そのサービスからの予約は一度もなく一か月ほどで辞めましたが、トレーニングで仕事先の人と関わるときやメッセージが来ると心がそわそわししたり、切迫感を感じたり、オンラインにも関わらず非常にストレスがありました。
しかし、意外とみんな優しく接してくれたり、自分が認められていると思えたことで、社会と関わる良い練習になったのではないかと思います。
私の全てを救った、母による仕上げの言葉
お医者さんから働く許可を得て、やってみたかった資格に挑戦することもできたし、気分も安定していたし、かなり抑うつからは回復していたように思えましたが、まだ不安がくすぶっていました。
相変わらず視線恐怖症気味ではあったし、「抑うつになった私」そのものに自信がなくなっていたのです。
履歴書には空白期間ができてしまって、面接ではきっとそのことについて説明を求められるだろうと思い、恐怖を感じていました。
抑うつの時期に限らず、思い返してみれば失敗ばかりです。仕事やアルバイトも続かず、女子のグループの中でうまくやるのも苦手でした。
自宅療養中に嫌というほど過去のことが思い出されて、私という存在は不安定でした。
もともと、自信を得るために他者の評価を求めがちだったところがあったので、余計に失敗を大きく捉えていたのかもしれません。
回復はしているのに、いつも目の下や頬が疲れてどんよりしているのを感じていました。
世間話を聞いているだけでも、気分は良いのに顔は重力を感じてげんなりしている気がしていました。
そんな状態でずっと過ごしていましたが、コロナワクチンの副反応で熱を出した母を看病していたとき、元気になった母が私に提案しました。
「いろいろなことを経験しているんだから、ブログとか書いてみたら?」
その時は「ブログね~・・・」と思っていたのですが、その日の夜ベッドでスマホゲームをしながらぼんやりいろいろと考えていると、朝方に、自分を救うことになる大きな考えにたどり着きました。
「私は多くの人ができることができないし、人と違う。たくさんうまくいかなかったこともあるけど、その分学んだことも多いし、チャレンジしたことも多い。そんな私は人と違う。でもそれこそが誇りなんじゃないか。」
このような考えに至った結果、私から自信を奪っていた様々な嫌な思い出は、全て「人とは違う」私の大切な経験となり、自信になったのです。
母の言葉は、私の今まで全てを肯定的に捉えた言葉だったので、私は救われたのだと思います。
私は昔から、世間で当たり前のように受け入れられていることに反骨心を持っていたり、心の中でおかしいと信じて時には主張したりしたこともありました。
いつしか、自分を変えて周りと同質化しなければたくさん友達ができないと考えてしまい、普通になれるように努力してしまっていました。
本当は、普通になるなんて、せっかく神様からもらった私の性格や長所短所、悪いところも含めて、大切な個性を台無しにしてしまうようなものなのに。
「神様は全ての人を愛していて、魂は誰でも同じくらい尊いもののはずだ。魂単位で見たら、上司だろうが年上だろうが偉い人だろうが、尊さは変わらない。私も同じくらいの強さや力を持っていいはずだ。
なのになんで、人がつくった慣習や常識に従わないといけないと思ったんだろう。どの人も同じくらい尊いのだから、どの人の考えが正しい間違っているということもない。「普通」に従う必要もない。
怒られたり注意されたり、どんな目で見られているのかも気にする必要がない。だってどの人も本質的に見れば私と一緒の価値しか持っていない。私より上の立場の人なんていない。」
4時間くらいゲームの画面を見ながらぼんやり考え続けていましたが、朝の4時頃にこの考えにたどり着いたときには、自分の中で核となる真理が生まれ、嬉しくて嬉しくて感動でいっぱいになっていました。
目の下がげっそりしているように感じていたのも、顔の疲れも、自信のなさも、一夜で全部が一気になくなりました。本当に劇的な変化で、奇跡を感じずにはいられませんでした。
確実に、抑うつになる前よりも良い状態に変わりました。
それからは視線恐怖症も前よりは弱まり、空白の履歴書の期間も「私にとって人生を生きるうえで、すばらしいことを学べた」と自信を持てています。相手の反応をうかがってビクビクすることも減りました。
相手にイライラされたとしても、それは相手の思っている正しさの問題で、私には私の正しさがあるのだから相手におびえることはないと分かりました。
「何怒ってるのかしら」でいいってことです。
このことに私が神様と母に気づかせてもらって人生が変わったように、私と同じ苦しみを抱いている人がいれば、この考えを知ってほしいと感じました。
あなたにも、人と違うあなただけの経験があるはずです。
苦しんだことも、つらい思いをしたことも、今のあなたをつくっている大切な経験です。
あなたがそれを誇りに思える日が来ますように。
まとめ
- 体からの「休んでいたい」というメッセージを受け取ってあげて。
- 趣味は楽しくても不安定な時期がある。そんなときも自分を責めずに、たくさん休んでいい。
- 社会と関わるのはこわいかもしれないけど、回復してから少しずつ慣らしていけばいい。
- あなたの経験は他の人にはない大切なもの。
- たった一人のあなたは、どんな人とも大勢の人とも同じ価値を持つ命。周りの考えなんて気にせず、自分を大事にするために過ごしていい!
最後に
うつや抑うつと診断されて、いろいろと考えてしまう方もいるかもしれませんが、診断された以上、しっかりと休んでしまいましょう♪
それに本質的なことを考えてみれば、うつや抑うつと診断されていない人でも、疲れていたら休んでもいいと私は思っています。
なぜか自分を犠牲にして社会的責任を果たすことが良いと見なされがちな日本ですが、社会より自分の命のほうが大切に決まっていますよね。
自分を生きづらくさせているような考え方や慣習はそもそも気にしなくていいのだと、今では思います。
私たちは一人一人が大切な存在なのだから、他の人の目や考えを気にして、自分を犠牲にしなくてもいいんです。
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